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町衆に守護されてきたお堂とその周辺(その8)

 気が付いたのは中京区でも祇園山鉾の出る町々やその中心の室町通には地蔵堂は少ない事です。八坂神社の祇園祭には「観音山」や「山伏山」など神仏習合の山鉾がでますが、お地蔵様は出ないのと関係あるのかなと。


 

photo 058 神泉苑内  雨の合間に二条城の南、神泉苑に行きましたら、苑内に石仏群と小地蔵堂がありました。どこでお堂入りと屋外山積みを区分するのでしょうか。



 

photo 059 神泉苑近くのコンビニにもありました。鉄格子で囲むのはお堂ごと盗まれるのを恐れてでしょうか。



 

photo 060  朝の散歩で塀の中のお堂をみつけました。北区平野宮北町付近。中に石仏二体、右に大日真言のメモがありました。金胎の大日か、地蔵と大日の並座なのか不明です。(お堂の左上の切妻のお堂みたいものはなにでしょうか。「おんぶおばけ」みたいですね。あ、ちょっと例えが古過ぎますか? O.A)


 

photo 061 平野桜木町の金攫八幡宮内のお堂。本尊は不動明王二童子石像と役行者像のようですが化粧地蔵に占拠されているようです。(凄いお名前の八幡宮ですね。一攫千金の八幡宮って、お金持ちになりたい人にとって、信仰の対象になっているんですか? ちょっと、人間の本質に迫り過ぎ……  O.A)





 地蔵盆に暑いからと寝ているのもったいないので、山科の六地蔵大善寺を見てきました。
 地下鉄六地蔵駅から500mほどなのにJR,阪急の駅と重なり道路が複雑であちこちで道を聞いてやっと到着。新型コロナで露店もない質素な地蔵盆でしたが参拝客は多かったようです。

 

photo 062 六地蔵・大善寺の地蔵堂





 
photo 063 開帳中の「伝・小野篁作延命地蔵」も撮影。

 帰り道が完全に分からなくなり、猛暑の中で事故でもあってはとタクシーを捕まえて地下鉄駅まで戻り、正午に帰宅。
 もう無理は出来ません、次は涼しくなってからにします。

(ハイ、そうしてください。涼しくなってきてから、地蔵信仰の知見をご披露していて頂けることを期待しています。思いの外厄介な「日本人の地蔵信仰の態度」は、私は「阿弥陀仏の救済を求める」という「信仰態度」と重なるような気がします。私(坊主)も、「地蔵信仰」と「阿弥陀信仰」の異同と通底する所に関心を強く持っています。これからもあると思える村雀さんの報告を、実に楽しみにしています。よろしくお願いします。O.I )




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